この記事では、家を出て公的DVシェルターに向かう直前の数日間に、私が行った準備を書きます。シェルター滞在中の体験談は以下の記事です。
前提として、事前にシェルター側と入所・退所の日付を取り決めた状態で、子供2人(小学生と保育園児)を連れてシェルターに入りました。
体験談
家出前の数日間を一言で表すなら「ド緊張」です。モラ夫にも子供たちにも秘密のままコトを進めていたので、バレないように緊張しっぱなしでした。また、モラ夫のモラモラ攻撃がどんどん深刻化・巧妙化した最終段階でもあり、家族間の緊張が最凶レベルに。不健全で重苦しい空気が、家庭を支配していました。私にも子供にも、そしてたぶんモラ夫にも、家で安堵できる時間なんてありませんでした。
夫が仕事に行っている間に家具・家電を持ち出して別居する――巷のブログなどで見かける、この手は使えませんでした。夫婦間の意思疎通がなく、不規則勤務の夫がいつ家にいるのか分からなかったのです。別居当日に不在だとしても、途中で帰宅するかもしれず……。それに家にいるんだか、いないんだか分からないときも(お互い様)。いきおい、夫が家にいても脱出できるように計画しました。緊張のレベルが増し増しに。
また旅行(シェルター行き)と引っ越し(別居)の支度を同時にやっているようなもので、頭の中はパニック。そんな状況で、まともに物事を考えられるはずもなく……。
私は事前に、手帳に詳細な脱出手順を書き出して、脱出の前日・当日はただただそれに従えば済むように準備していました。正直なところ当時のことを細かく覚えておらず、手帳を見返して思い出したり思い出さなかったりしながら、この記事を書いています。
結局、持ち出したのは、事前に夫・子供の目につかないもの、当日は自分の手で運べるもの、です。
■ シェルターへの持ち物
私が考える、シェルターならではの必需品は以下です。
- 貴重品:当日、持ち出さざるを得ないもの。可能であれば、親兄弟親戚などにあらかじめ預けたほうがいい
- 連絡先の電話番号のメモ:今後の生活の算段をするために、親兄弟親戚などに連絡する可能性がある場合(シェルターの電話機から連絡する)。スマホなどの電子機器はシェルターで預けます。GPSなどで追跡されないために、電源も入れられません
- 暇つぶし:何もすることがない時間がたっぷり
その他の持ち物は、通常の旅行と同様に。
シェルターに対する私のイメージは、学校の合宿所や企業の研修施設です。寝食の世話はして下さいますが、掃除や洗濯など自分でできることは自分でするシステムでした。
なお、公的なDVシェルターに入る際には、支援してくれる担当者がつきます。たとえば、シェルターの場所は秘匿されているので、この方に頼って行きつくことになります。その方を、この記事では支援担当者と呼びます。もしも読者の方がシェルターにいくときには、疑問点は支援担当者に尋ねるとよいと思います。ちなみに、私の支援担当者はとっても明るい方で、逃避行中は救われる思いがしました。
それでは時系列に沿って、私が行った準備をご紹介します。
- だいぶ前脱出計画を練る
最終的に持ち出したいものを、シェルター行きか別居先行きかに振り分ける。
脱出の前日・当日の食事のメニューや、自分や子供が着る服、最後に洗濯する日なども決める。持ち出す調理器具や衣類の算段をつけるため、そして当日に何も考えずとも手を動かせるよう、かなーり詳細にメモ。家を出て子供を迎えにいく経路も書き留めた。普段使わない、モラ夫にバレにくい道を選んだ。
後から後からミスやモレがあることに気付き、何度も書き直したり書き加えたりした。
- 持ち出したい物を目につかない場所にしまう(隠す)&荷物としてまとめる
一気にモノがなくなると気付かれるので、出しっぱなしのもので持ち出したいものを、少しずつ夫にも子供にも分かりづらいところへ片づけた。たとえば、子供のお気に入りの本。代わりにダミーとして、もう読まない赤ちゃん用の本を置いた。家全体が片付いた感じにはしなかった。
日常的に使うものを手元に残していた。それでも今日を最後に使わないと思ったら、いざ持ち出すときのために段ボールや鞄にまとめていった。
- モラ夫への置き手紙を書く
もっと後にやるのでも良かったが、早々に置き手紙を書いた。シェルター行きの日が近づくにつれて、ナーバスになっていく。まだ正気を保っているうちに、できることはやってしまおうと思った。ちなみに、普段の雑事だったら、先送りしちゃうことも多いのだが(←直したい)。
- 当日に荷物を持ち出すリハーサルをする
大切なものだが、家を出るときにしか持ち出せないものがある。我が家の場合は、小学生の子供の勉強道具だった。モラ夫が子供の勉強を見ていたというか、教育虐待をしていたのだ。子供の勉強グッズがヤツの管理下に置かれていた。これらを回収して、バッグに詰める練習をした。夫が子供を迎えに学習塾に行っている隙に。
- 別居前々日具合が悪いアピールをする
翌日から仕事は有休を取っていた。家にいてもおかしくないように、体調不良のフリをした。モラ夫に尋ねられたときのために、言い訳を用意したのだ。ただし、結局、何も言われなかった。
- 別居前日別居先(シェルターの次に向かう親類宅)に車で荷物を運ぶ
何回かに分けて車で荷物を運んだうちの最終回。服(シェルターに持っていくもの以外)、調理器具・食器(今日明日使わないもの)、アイロンのような小型家電、防災リュック、ママチャリなど、ギリギリまで必要だったものを持ち出した。
モラ夫に目撃されないよう、自宅から運び出すときは、家からだいぶ離れたところに駐車した。
モラ夫にママチャリがないことを尋ねられたら、修理に出したことにしようと思っていたが、何も聞かれなかった。さすが会話のない夫婦!
- 支援担当者にシェルターに持っていく荷物の一部を預ける
支援担当者に旅行カバンを2つ預けた。「当日は身軽に」と言われていた。
- 別居当日最低限の家の片づけやゴミ捨てをする
「立つ鳥跡を濁さず」方式で別居する方もいらっしゃるようですが、私はそんなことをする義理は無いと思っていた。ただ歯ブラシなど、そのまま置いていくのはイヤだったので、そういうものをまとめた。そして、子供を保育園に送っていきがてら、ゴミ捨てをした。
- 別居先に荷物を送る
保育園から戻り、当日の朝まで使っていた必需品をまとめた。子供のコップや箸、寝るときの枕・人形など、子供のものが中心だった。
IKEAの青いバッグを肩にかけ、大きな段ボール1個を抱えて、コンビニに向かった。モラ夫が家にいたので、音がしないように神経を使った。
支援担当者に教えてもらったとおり、送り主の住所と名前は「同上(送り先と同じ)」にした。そうすれば、届け先不明になった場合でも、万が一にもモラ夫のいる家に返送されることはない。
- シェルターに持っていくバッグに、最後の荷物を詰める
荷物を発送して家に戻ってきた。モラ夫の靴が1足なくなっていたので、外出したようだった。仕事だったのか、私と顔を合わせたくなかったのか分からない。ただ、それまでと同様に確認するようなことはせず、モラ夫が家にいるものとして、注意しながら最後の準備に取り掛かった。
ドライヤーなど、私の私物の回収は簡単だった。例の、モラ夫の管理下にある子供の勉強道具以外は、ぜんぶパッキングした。その荷物を持って、子供部屋に向かった。
リハーサルしたとおり、勉強道具を一通り抱えた。何を持ち出しても、家事をしないモラ夫にはバレなかったけれど、子供の勉強道具が無くなったことだけは、分かるだろう。
もう一刻も早く、家を出たい。緊張のあまり鼓動だけなく、呼吸も早くなっている。苦しくて、肩で、口で息をしている。暑くないのに、汗もかいている。
置き手紙を子供の勉強机におき、靴を引っかけて、文字通り逃げるように家を後にした。
- ママ友宅の玄関先で荷物と気持ちを整える
私はまずは近所のママ友宅に向かった。ママ友は仕事で、家は留守だ。しかし「必要だったら玄関先を使って」と事前に言われていたのだ。そこなら、モラ夫にバレない。
私は適当に抱えていた子供の勉強道具をきちんと詰め直した。そして気持ちも落ち着かせた。
ここまでが私がDVシェルターに入居するための準備だ。あとは、子供たちを迎えに行って、シェルターに向かうだけ。ママ友に感謝しながら保育園に向かう道すがら、自分の緊張が解けていくのが分かった。
この頃に役立った本
別居前後は本なんか1冊どころか1行たりとも読んでいません。
本来は読書好きで年間100冊くらい読んでいます(プロフィール)。ポストに投函されるチラシや、家電のマニュアル、アプリの利用規約なんかも、ついつい読み込んでしまうタイプです。このサイトではDV本やモラハラ本の書評を掲載。他の体験談の記事では、その時期に役に立った本の紹介などもしています。
別居後しばらくして「そういえば、最近、本を読んでいない! なんてこった!」と愕然としました。私にとって、人生の衝撃体験のひとつです。「文字を読むのが億劫」という意味が、心から分かりました。
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