この記事は後編です。前編・中編は以下からどうぞ。
前編では、モラ夫が赤ちゃんの娘に対してどんなふうに無関心だったかと、小学生になった娘にどのように執着していたかをご紹介しました。
中編ではそのように変遷した要因や経過を明らかにしました。
この後編では、モラ夫の暴走を食い止めるために、母親として私に何ができたのかを考察します。
私に何ができたか?
この記事では、モラ夫が子供にひどい教育虐待をするようになる前に、私が子供たちのために何ができたか、を考えます。そもそもモラ夫と結婚しなければ良かった、と言われればそうなんですが、そこまではさかのぼりません。子供が生まれて以降、私が子連れ別居するまでの間で、「あのとき、ああしていれば」と思ったことを振り返ります。
中編で「娘とモラ夫を取り巻く状況に私が気づくのが遅れた」ことが、モラ夫の暴走を許してしまった原因だと書きました。つまり、逆説的に「娘とモラ夫を取り巻く状況に早く気づくこと」が、母親として私ができたことになります。では、どうすれば早く気づけたか? 以下の2つが必要だったと考えています。
- ベースとして、父親としてのモラ夫に100%の信頼を置かない
- モラ夫や娘の言動に違和感を感じたら、その度にきちんと違和感に向き合う
このことは、色んな本を読み漁ったり、別居後の母子3人での生活が落ち着いて真剣に考えたりして思い至りました。
では、上の2つのポイントについて、詳細に見ていきます。
モラ夫を完全に信用しない
まずベースにあるのは、私自身の心持ちとして、モラ夫を父親として100%信頼してはなりませんでした。モラ夫が進んで娘と関わるようになったことに対して「良かった、良かった」と単純に喜んだのは、あまりにも無邪気過ぎました。
私が似ていると思った考え方は、「結婚するときに、自分のお金(預貯金等)をすべて夫に明かす必要はない」という先人の教えです。結婚前は夫とトラブルが生じるなんて想像もできないけれど、万が一の場合の軍資金を隠し持っておくんですね。そういうふうに、問題が生じてもリカバーしやすい姿勢を持っておくべきでした。
ましてや、ウチのモラ夫は言うなれば「ろくすっぽ子供の面倒を見たことがないおっさん」です。私への態度・言動も、褒められたものではありません。「子供の父親」という属性を取り除いたら、間違っても子供の世話を頼みたくない。
モラ夫が父親として立派にやるなんてことは期待していませんでしたが、父親としてフツーに接しているかぐらいは、当初からチェックすべきでした。たとえば、父娘の二人で遊びに行くことがあったら、私なりに懸念するポイントに着目しながら、どう過ごして、どう思ったのかなど、娘に聞くこともできたはず。
また、モラ夫を信用しきらなければ、「違和感」を感じ取れる頻度が上がっていたと思います。中編で触れましたが、モラ夫は自分の部屋の隣の倉庫部屋を自ら片付けて、娘の部屋として用意しました。無精者のモラ夫が長年放置してきた部屋を掃除するなんて、今考えると、うさん臭くて仕方ありません。しかし当時は、私の違和感センサーははたらくことはありませんでした。家がきれいになるし、子供部屋ができるし、良いことのようにしか見えていませんでした。私の眼が届きにくくなり、のちに私は大いに後悔することになります。
ヘンなことを正しく違和感として認識するためには、問題行動が垣間見えていたモラ夫を父親として信頼すべきではありませんでした。今になって、過去を振り返ると、感じるべきだった違和感を見逃していた瞬間が、いくつもいくつも見えてきます。
違和感に向き合う
前のセクションでは、違和感センサーの感度を上げるために、モラ夫を完全に信用しないでおけば良かったと述べました。
ここでは、鈍い違和感センサーであっても違和感を感じ取ったときに、どうすれば良かったかを取り上げます。
この「違和感」というキーワードは、色々なモラハラ本・DV本で「被害に気づくには」という文脈で登場します。私もそのように痛感させられました。違和感を軽視せずに真剣に受け止めて、きちんと考えて言語化することが、モラハラ・DV・虐待に対処するための第一歩「気づき」につながります。
具体的にモラ夫や娘の言葉をピックアップして、私が感じた違和感について紹介します。まずはモラ夫のセリフから。
モラ夫「息子君に○○(習い事)をさせよう」
ある日、モラ夫は「息子君に○○(習い事)をさせよう」と言った。まあ、普通の家庭なら、なんてことのないセリフですね。ただ私の頭には「ん? 突然なんやねん?」という疑問が浮かんだ。これが、当時感じた「違和感」のすべて。
疑問を覚えた理由をその時に自分に問いかけていたら、モラ夫の真の意図はなんなのか見えていたかも。少なくとも、言葉どおりの意味に解釈できないことには、気付いたはず。
背景として、モラ夫は娘には干渉し過ぎる一方で、息子のことはまるで存在しないかのように扱っていた。それなのに、日常的な話題をふっとばして、唐突に「習い事」について言及した。息子の将来を考えての発言ではない。何か裏がある。――この辺までは、当時、きちんと考えれば分かったはず。
そしていつ気づいたか定かではありませんが、私と息子がいっしょに家を空けることを、モラ夫が望んでいたんだと思い至った。私が不在なら、好き勝手しても、モラ夫に意見する人は他にいないから。
続いて娘のひと言。
娘「行かないで」
休日に私が「今日こそ買い物に行かなくちゃ」と、ふと漏らしたときのこと。娘は冒頭の「行かないで」というひと言を発した。娘が自室で勉強する間に、ちょっと行って帰ってこられる程度の買い物なのに、娘がダメ出しをするのは不思議だった。娘に理由を尋ねたら「どうしても」のような返事。私が買い物に行くときは、息子を必ず連れて行く(モラ夫には託せない)。「私が下の子にかまけていて、寂しいのかな」と私は思った。
結局、この日は買い物に行かなかった。それで解決と思っていたが、この日を皮切りに娘の「行かないで」は少しずつ増えていった。繰り返すことで、ようやく私も娘の真意に気づいた。
- モラ夫が在宅のときだけ「行かないで」と言う
- モラ夫の面前では「行かないで」を言わない
と、いうことは、問題はモラ夫だ。父娘だけで家に取り残されるのは、娘には恐怖だった。
私は、最初に感じた違和感「ちょっと行って帰ってこられる程度の買い物なのに、娘がダメ出しをするのは不思議」を放置してしまった。1回目は見過ごしたとしても、2回、3回と繰り返す中で、どこかで真剣に違和感に向き合っていたら、と後悔している。そうすれば、もっと早いタイミングで娘の気持ちに気づけた。
2つだけ例を挙げたが、モラ夫と娘には正反対の意図があった。モラ夫は父娘と母息子の2つに家族を分断する方向へ、娘はそうされまいとする方向へ。この真意が隠されていることに気づくと、他に感じた多くの違和感にも説明がついた。
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