娘に無関心だったモラ夫が、娘を束縛するようになるまで(前編)

 長女(第一子)が生まれたあと、モラ夫は娘に関心を持たないどころか、うとましくさえ感じていました。そんなモラ夫が、数年後には娘を束縛するようになるなんて!

 このシリーズ(前編・中編・後編)を通じて、モラ夫の教育虐待+αを、みすみす許してしまった経緯や理由を明らかにし、私にできたことはなかったのかを考えます。娘には本当にかわいそうな思いをさせてしまった……。

 なお、現在はモラ夫を棄て終わり、母子3人で暮らしています(子連れ別居)。

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落差

 モラ夫の娘に対する態度のビフォー・アフターを紹介します。生まれてからの数年間と、小学生になってからで、まったく違います。まずは、別居直前の様子から。

別居直前の状況

 支配、束縛、囲い込み、依存、過干渉――別居直前の、娘に対するモラ夫の態度です。私にとってはモラハラ夫ですが、子供から見れば毒父。私の目が届きにくいところで、娘(当時、小学生)に暴言・暴力を振るっていました。中学受験を名分にした虐待、つまり教育虐待です

 毒父エピソードには事欠きませんが、はっきりと虐待と分かる類のものではなく、娘への執着を表すものをここで取り上げます。

 基本的にヤツは、可能な限り娘がいっしょにいることを期待。娘が友達と遊ぶことにも良い顔をしませんでしたが、なんと言っても母親である私を娘から遠ざけることに必死。娘との絆の深さを争う相手として、私が最大の敵に認定されているかのようでした。

 普通に考えて、ひとつ屋根の下に暮らしている母娘を物理的に引き離すなんて、難しいですよね。ヤツが取った手段が、教育パパになること。自分が娘の教育担当として、学校の宿題や、塾の送迎に付き合っていました。そのやり方が異常!

  • 娘の部屋で隣にべったり張り付いて、娘の勉強を見る。いや、一挙手一投足を監視すると言ったほうが正しいか? 年齢に見合わないほど長時間の勉強を課す
  • 休憩のタイミングはモラ夫が決定。休憩時間は完全フリーではない。娘の部屋かモラ夫の部屋で過ごさせる。オヤツもそこで2人でとる
  • 私には秘密主義。学校や塾の配布プリントや連絡帳をモラ夫が管理して私に見せない。学校の宿題の内容や、塾のテスト・追加授業の予定を知らせない。娘には「お母さんに言ったら、××になるよ」のような脅し文句で口止め
  • 娘が耐えきれずモラ夫に暴発してしまったときがあった。モラ夫は、そんなことを言うなんてお父さんは悲しいよ、と「泣き落とし」で反応。子供相手に自分を被害者ポジションに置くことは、他の場面でもやっていた
  • 父親は娘担当、母親は息子(下の子)担当と、家族を2つに分断しようとする。そのほうが教育の効率がいいんだとか

 基本的に「受験」を錦の御旗のごとく掲げて、娘が家にいる時間の大半をモラ夫がコントロールしていました。モラ夫は裁量のある仕事をしているので、娘の学校や塾の都合に合わせて、柔軟に対応することができちゃいました。

 それだけでは飽き足らず、娘の生活の隅々まで束縛。たとえば外食ひとつ取っても、モラ夫と娘が隣同士で座れなかったり、モラ夫の好みではないメニューを娘が選んだり、しかもその選んだメニューが私と同じだったりすると、モラ夫は不機嫌を隠そうとしませんでした。

 娘は学校から家に帰り渋ることも増えて、担任の先生から私に連絡が来たこともありました。落ち着けるはずの家で緊張を強いられる。逃げ場もない。

 娘が私に打ち明けた中で忘れられないのは「(父親の)言いなりになっちゃう」という一言。うまく言葉で説明はできずとも、モラハラ本やDV本でよく出てくる「支配」「コントロール」の気配を感じ取っていたと思います。

娘の生後しばらく

 そんなに娘が大好きなら、娘が生まれてすぐにパパも大喜びで育児に参戦――するわけないじゃないですか。元々、家事をしないヤツでしたが、育児もせず。モラ夫の娘に対する基本姿勢は「無関心」でした。あるいは、赤ちゃんの娘は、妻である私の時間・手間を奪う、うとましい存在でもあるようでした。

 そんなわけで、娘が生まれてから数年間の父娘関係は希薄そのもの。モラ夫は仕事や付き合いを理由に家を空けがちで、数カ月単位で、娘がモラ夫の姿を見ていないときも。娘にとっては、会わない父親よりも、時折会う祖母や伯母(私の母と姉)のほうが重要人物、そして大好きでした。会えば、自分の遊びにとことん付き合ってくれたので。

 ただし、そんなモラ夫でも一切合切な~んにもしなかったわけではありません。まれにモラ夫の気が向けば、オムツを変えたり、離乳食を娘の口に運んだり、保育園で必要なものをネットで買ったり。母娘の公園遊びに、モラ夫がついてくることもありました(モラ夫だけで娘を連れて遊びには行けない)。

 それだけで本人はイクメン気取りでした。それに世の中には、褒めてくれる人もいるんですね。モラ夫の母親(私の姑)とか。「ウチにいたときは何もやらなかったけれど、親になると違うのね」ですって。

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モラ夫の態度の背景

 このセクションでは、私が当時モラ夫に対して抱いた気持ちワルさや違和感の正体について、深堀します。趣味の読書で得た情報も、本からの引用という形でお届けします。

 モラ夫との同居当時、私はモヤっとした怒りや不満を抱いていました。離婚調停やこのWebサイトを通じて、人様に家庭環境を説明する機会を得て、ようやく当時の状況を自分の中で整理して、言語化できるようになりました。

娘を束縛するモラ夫をキモいと感じた訳

 モラ夫が小学生への娘への執着を見せると、私は内心では「キモっ! くそおやじ」と思っていました。たまには、もしかしたら「キモい」って口に出てたかも。

 私が抱いた気持ちワルさの正体は、後日『共依存かもしれない――他人やモノで自分を満たそうとする人たち』(レビュー)という本を読んだときに理解しました。以下が、私に気付きをもたらした文章です。

 子どもを妻や夫の代わりにするのは、家族のなかで健康的でない役割をおわされるということです。

 この一文は「家族が性的虐待をする」というセクションの中にありました。そして、病弱な母親に代わって父親の悩みを聞く娘や、離婚で気落ちしている母親を元気づける息子が、具体例として登場します。いずれも親子間でなんらかの性的な関わりがあるわけではありません。しかしこの本の著者は、子供を大人扱い・配偶者扱いをしている点を問題視しています。

 私がモラ夫について「くっそキモ親父!」と吐き気を催したのも、モラ夫の言動から娘とパートナーになりたいような気配を確かに感じたからでしょう。


 一方、世界一有名な毒親本『毒になる親』(レビュー)の中には、以下の記述がありました。

 彼ら(※ 性的虐待の加害者)が子供に対して性的な行為をする直接の理由は、自分の支配欲を満足させるため、または、子供しか与えることのできない「疑うことを知らない純粋な愛情」を求めてのことである。それが結果的に性的な満足を得たいという欲求に進むことはあっても、そもそもの動機がはじめから性欲であることはまれである。

 今にして考えるにつけ、もしモラ夫との同居を続けていたら、取り返しがつかないほどの傷を娘が負ってしまっていたかもしれないな、と……。そう思い至ってゾっとしました。

 私は、過去の娘と同じような境遇にある子がちょっとでも救われれば、という思いから、微力ながら以下の記事を書きました。よろしかったら、併せてご確認ください

モラ夫が赤ちゃんの世話をちょっぴりやった訳

 前述のように、モラ夫はほんのちょっぴり幼い娘の世話をしました。よく言われているように、他人へのイクメンアピールのため、という側面もあったと思います。

 しかし私の目には、それと同時に、モラ夫の興味を満たす目的でやっているように映りました。つまり、赤ちゃんという未知の生物や、赤ちゃんグッズという物珍しいガジェットのことを知りたかった、と。

 この点について触れている本をあまり見かけなかったので、『DV・虐待にさらされた子どものトラウマを癒す――お母さんと支援者のためのガイド』(レビュー)で以下の記述を読んだときには、思わず膝を打ちました。

 つまり、虐待する男性は、父親としての立場や子どもを持つ喜びは味わいたいけれど、困難や犠牲を伴う場面になると急に興味を失う傾向にあります。出産には熱心に堂々と立ち合い、6か月目に赤ちゃんに最初の固形食をあげる役も買って出て、学校に初登校した日は送迎バスの停留所まで迎えに行くかもしれません。しかし夜中に何度も起きて食事をあげたり、寝かしつけたりしなければならないとしたら、彼が3度目に起きてくれることはほとんどないでしょうし、息子や娘の難しい宿題に忍耐強くつきあうことも、学校への送り迎えがもはやワクワクするイベントではなくなり、決まりきった日課となったときに、彼がその役を引き受けることもほとんどないでしょう。

 案の定、モラ夫は娘のオムツ換えなんかは数回しかやりませんでした。息子(下の子)のときは皆無。急速に興味がなくなったんでしょうね。


 前編はここまでです。中編(以下)では、モラ夫が娘の世話を放棄していたところから、過干渉に振れるまでの経緯と、私がそれを許してしまった原因を述べます。

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まとめ

共依存かもしれない――他人やモノで自分を満たそうとする人たち

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プロフィール

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 ある日、私は2人の子供を連れて、モラ夫から逃げて別居しました。私自身と子供を守るためです。

 私は年間100冊程度の本を読んでいます。好きなジャンルはファンタジーですが、多読しているのは実用書です。

 このサイトを訪れた方が、少しでも生活を改善したり、気持ちを前向きにしたりする情報を得られたら幸いです。

望木 幸恵

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